30歳・凡人アラサーが脱サラし海外移住を決めるまで①

こんにちは!場所に捉われない働き方を叶えるノマドコーチの荻野ゆりかです!

今日は私が海外移住を決めるまでの経緯をまとめたいと思います。長くなりますので、海外移住を考えはじめる前私がどんなサラリーマン時代を送っていたのかから現在に至るまで、少しずつ時期を区切ってお話していきます。

海外移住を考えているけど勇気が出ない方や、今の会社で働き続けることに不安がある方が、こんな生き方もあるんだと視野を広げられるキッカケになれば嬉しいです。

目次

最初は海外移住までは考えていなかった

そうなんです。

最初はぶっちゃけ海外移住をしようと現実的には考えていませんでした。

大した貯金もない。

海外で食べていける仕事もない。

特別な資格もないし、

英語も大してできないから海外駐在も現実的じゃない、

人脈もないから現地採用も難しいだろう。

海外に憧れはあった。

でも「将来的に住めればいいな~」とどこか他人ごと。

海外なんて夢のまた夢。

まさか1か月後には海外移住を決めてるなんて、思いもしませんでした。

きっかけは職場での人事異動

2021年6月末。

当時私が働いていた会社では人事異動の時期。

私自身の異動はなかったけど、一緒に働いていた先輩が産休に入ったり、同じチームに隣のチームのメンバーが移ってきたりと変化があった。

その関係で、私の担当顧客にも若干の入れ替えが発生。

これが私が心のバランスを大きく崩すきっかけだった。

色々な事情から、私の所属するチームの人数は必要定員から1人足りない状態になり、私はそれまでよりもたくさんのクライアントを任されることに。

当時私は転職エージェントで働いていたのですが、当時新しく担当することになったクライアントはどれも未知の領域のクライアントばかり。

それまで担当してきたクライアントも担当しながら、新しい領域にチャレンジすることとなった。

負けてたまるか・・・

はじめは大変だ、と思いながらも、任せてもらえることが嬉しかった。

3年経って、ようやくビッグクライアントを担当させてもらえている。

任せられないと思われれば担当させてもらえない、会社にとっては大切なクライアントだった。

だから張り切って私は担当を引き受けた。

でも、働く時間の長さは変わらないのに、単純に担当クライアント数が1.5倍くらいに増えていた。

だからこれまでと同じように仕事をすると時間が足りなかった。

最初のうちは自分の時間を削って何とか新しいお客様に食らいついた。

必死に勉強をして短期間でアウトプットを出せるようにできる限りのことをした。

今の自分のキャパだと、この会社じゃ認めてもらえない

もっとキャパを広げられるように頑張らなくちゃ・・・

そういって自分を励ました。

少しずつ自分の時間がなくなった

最初の1週間は気が張っていた。

忙しいことがうれしかった。

けどこの時から心が疲弊する兆候があったと今では思う。

きっと当時の私は自分が疲れているということに気づいていなかった。

私はストッキングを4枚しか持っていなかった。

だから月曜日から金曜日の間に1回も洗濯機を回さないなんてことが起こると金曜日に履いていくストッキングが無くなる。

洗濯機を強制的に回すためにストッキングは4枚しか持たないと決めていた。

でもこの時私は洗濯機を回し忘れた。

結構マメな私は平日1回も洗濯機を回さないなんてことはほとんどなかったからびっくりした。

仕事にばかり気持ちが向いてしまっていて、明日のことを考える余裕がなくなっていたんだと思う。

洗濯機を回していないことに気づいたのは金曜日の朝だった。

急いでコンビニにストッキングを買いに行った。

余裕のない生活の始まりだった。

次回に続きます。

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この記事を書いた人

現在東南アジアを放浪中の海外ノマドワーカー。現在2年目。
2021年9月に大手人材エージェントを退職。その後、時間や場所に捉われない働き方を叶えるために東欧ジョージアへ。笑ってコラえて!のジョージアレポーターも務める。現在は企業向け採用支援、コミュニティマネージャー、ノマドニア体験プログラム「ノマドニア」運営、キャリアコーチなど。

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